【回想録】2000年初期の東京における、とある若者の日常

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2000年初期の東京における、とある若者の日常を空想科学小説として書いてみます。今回こういった話を書こうと思ったのは、私自身が「下級武士の日常」のような、過去の人がどんな暮らしをしていたのかを垣間見るの好きだからです。

歴史はつながっていくわけだから、そのころってどう考えていたの?とか、どう過ごしていたの?って単純に興味深いです。祖父の日記帳が出てきたときみたいに、いつか私の孫にこの文章を読まれて「うひゃー」と思われることを願っています。

大正14年産まれの祖父が残したアルバムに、黒塗りされた文字が何カ所かありました。デジカメで撮影して画像を加工してみたところ・・・「馬鹿者東條」という言葉が浮かび上がりました。

それではどうぞ。

記憶その 1 ゆるいオトコたちの家

「マゲオさん、来週の日曜ってどうですか?」

だいたいそんな感じで連絡をもらって家に集まるのが定番だった。集まったらまず近所のスーパーで味の濃いお菓子やお酒を買い出し。私はお酒が飲めないので、エスカップとコーラを何本かずつ。このふたつをMIXすると「エスコーク」という刺激的なドリンクが完成するのだ。

メンバーはいつもオトコばかりで4人~5人。テーブルを真ん中にして座って、夜の19時くらいから。

ぷはー もはー。

ボンやりしながら、やることはマンガを声を出して読んだり、ガンダムのDVDを見てモノマネをしてみたり、エロ本の品評会をしてみたり、完全に中学生のノリ。何の生産性もない時間。ゆるい時間。

ゲームは頭を使うのでやらなかったし、討論するようなこともなかった。瞑想もしなかった。

大学生のころにも、よく友人の家に集まってお気に入りのレコードをかけたりしていた。そのときはみんな子猫みたいに痩せた女の子を連れていた。女の子たちは新しい靴の話なんかしながら、オトコたちは音楽や夢の話に夢中だった。

そこから一周(?)したのか、再びオトコだらけで中学生みたいに集まる日が来るなんて。

夜がふけてくると寝落ちする人も出てくる。やさしく毛布をかけてあげる。朝になったら、「昨日は楽しかったねー」なんてことを言いながらお別れ。

みんな元気にしてればいいなとたまに思い返す。何か身になることがあったのか?と考えてみると、間違いなく「何ひとつない」という結論になる。だからこそ、私の人生の幸せな空白部分として強く記憶されている。

記憶その 2 旅人たちの家

LCCもなければ、スマホで格安航空券を探すこともできなかった時代。ブログのアフィリエイトやユーチューバーみたいなのもできない時代には、旅人たちは海外からいろいろなものを持ち帰ることで次の旅費を捻出していた。

手ブラで帰ってこようものなら「もったいない!」と言われ、特に女性の場合は「しまうところいっぱいあるじゃん!」と冗談交じりに突っ込まれていた(そんなガバガバじゃないワ!というのが定番の返し方)。

いまで言うところの、クラウドファンディングみたいな感じ。自分が海外で見つけたおもしろいものを持ち帰り、友人たちへ振る舞って、カンパのようにお金を集める。

その後はインターネットが普及し、海外から何かを購入することも気軽に行えるようになった。みんな目が肥えて来たから、ちょっとやそっとのものだと喜ばれなくなった。

音楽をインターネットでやり取りできるなんて夢にも思わなかったので、旅するDJたちは持ち運びが便利で音質のよいDATを好んで使っていた(え?DATを知らない・・・?)。

DATを簡単に言えば、デジタルで録音できる超高音質な小さなカセットテープ(え?カセットテープを知らない・・・?)。

悪そうな音の入ったDATをマフィアのように運ぶ人たちがたくさんいた。

時代は変わったなと本当に思う。あのころは「行動力」がすべてだった。情報を集めるには、悪い音を手に入れるには、現地へ行くのが一番だった。

いまは「つながり」がとても大切だ。あふれかえる情報の中から洗練されたものを選び、悪い音を手に入れるには、さまざまな人とつながっているのが一番だ。

アメリカで行われているアートと音楽と悪フザケの祭典「バーニングマン」も、私が活発に参加していた2000年初期は本当にサバイバルイベントだった。その代わりに、チケットが売り切れることなんてなかった。いまはチケットが1秒で完売してしまう。個人の思いだけでは、なかなかどうにも難しい時代になった。その代わりに、何かのお手伝いをする人には優先的にチケットが回ってくるようになった。これも「行動力」から「つながり」へシフトして行ったひとつのように思える。

しかし、困ったことに私は人間が苦手なのだ・・・。

記憶その3 若すぎたふたり

「どうしよっかー」

「ま、フロアの雰囲気を見てから決めますか」

ふたりで電車を乗り継いで、当時人気の大箱へ到着。すでにたくさんの人がワイワイとしていた。フロアもほぼ満員状態。

小さな隙間へふたりで立ってブースを眺める。大柄な白人が次々とキラートラックをつなげていく。

彼女の手を握り、ひとつ渡す。向かい合って微笑んで、さっき交換した水で流し込む。

「苦いねー!」

別に言わなくてもいいようなセリフを耳元で叫ぶ彼女。

「そうだねー!」

こっちも、そんな返事はしなくてよいのに耳元へ返す。

フロアには何人くらいいたんだろう。1,000人くらいかな。でも、僕らはふたりで踊り続けた。

「手汗がすっごい、ゴメンね!」

握った手から彼女の体温が伝わってくる。気がつけばTシャツも汗でびっしょり。

「ちょっと外に出よっか」

爆音から離れて、適当な床に腰を下ろす。周りを見ると、車座になっておしゃべりしている集団、大きく口を開けて完全に眠っているカップル、なにか「近づいたらマズそう」なオーラを出してうつむいている若者、さまざまな人がいた。

僕らは幸せだった。わずか8時間だけかもしれないけど、たとえそれがなにかの作用だったとしても、幸せであるという感覚を体験できたことは、とても幸せだった。

朝になって、部屋に帰って、シャワーを浴びてそのまま眠る。起きるのは16時くらい。「お腹空いた!」そんな大騒ぎをしながら、ママゴトのような時間が過ぎていった。