Ryoma Maedaと牡鹿半島へボランティア活動に行ったときのドタバタ日記

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あの日から5年。本日紹介するのは、2011年の10月の終わりごろ、東日本大震災で大きな被害を受けた「牡鹿半島」へボランティア作業のバスツアーで参加したときのドタバタ日記です。

牡鹿半島の被害状況はずーっと耳にしておりましたが、いかんせん東京から遠く、ひとりでレンタカーを運転して行くのは困難そうな距離。さらに道路の陥没や冠水も多いため、リアルに危険だよと警告されていました。

そんなときに教えてもらったのが「レーベン号」のボランティア・バスツアー。

往復3,000円という超格安の値段で、金曜の夜出発~土曜作業~日曜早朝に東京に戻るという、労働者階級の俺らでも参加しやすい設定。これはもう乗っておくしかないということで、即座に申し込みしました。

今回は「Ryoma Maeda & Romantic Suiciders」としても活躍している、幻想交響少年晩年音楽家、初期衝動と郷愁をカットアップ、反復できないダンスミュージック、緻密すぎるパンク、すべてのスタイルを破壊しフェイクにしてしまうむき出しのエンタテイメントに満ちたポップエレクトリックミュージック、Virgin Babylon Record/ROMZ record所属でmilch recordsオーナーのmilch of sourceことRyoma Maedaと一緒です。

現在発売中の「キーボードマガジン」に、Ryoma Maeda & Romantic Suicidersのインタビュー記事が掲載されているようです。

揺れすぎるバス

金曜夜23時。日比谷の集合場所へ向かうと、すでにレーベン号が到着していました。

なかなかキレイな見た目。車体にはたくさんの寄せ書き。勇ましい「絆」の文字や愛らしいワンコの写真。他のボランティア・バスツアーが通常のバスを使い回しているのに対し、レーベン号は「ボランティア専用車」であることに意気込みを感じました。早速我々も乗り込むことに。

サンフランシスコのバスがそうであるように、ハーコーなヤツらは後ろに座る。ハーコーなヤツほど後ろに座る。俺とmilchは最後列のひとつ前の座席に陣取りました(いや、正確には行儀よくちょこんと座りました)。

待つこと数十分。ついにレーベン号は牡鹿半島へ向けてエンジンを点火!夜の東京を旅立ちます!!!!!!!

が!その瞬間!!!!!!! 「ンガガガガガガ!」と、強烈な揺れが俺とmilchに襲いかかる!!!!!!! 尻が浮く!奥歯が鳴る!両手は自然に音頭を踊る!!!!!!!

なんと、なんかが壊れているのだろうけど尋常じゃないほど座席が跳ねるのです。タイヤの上に鉄板を置いて走っているようなもんです。ちょっとした段差を通過するだけで胃がひっくり返るんじゃないかというほどの衝撃。脳髄も揺れっぱなし。

「これで寝れんのか・・・」

牡鹿半島到着は明日の8時。車中で少しでも寝ておかないとボラ活動に響きます。そして前列を見渡しても大騒ぎにはなっていない様子。どうもハーコーなヤツらが座る後列だけが揺れるようです。なんてこったい!

道中いくつかのサービスエリアに停車し、その束の間だけは揺れのことを忘れられます。しかし再びエンジンが点火すると、尻は浮き、奥歯は鳴り、両手は自然に音頭を踊りだす!!!!!!!

レーベン号は牡鹿半島へ向けて、俺らだけガタガタ揺れながら夜の闇を突き抜けていきました。

雨の牡鹿半島上陸

夜の闇を走り抜けて到着した牡鹿半島は雨でした。車窓から外は見えにくかったけど、破壊された家屋や崩れた山の斜面、風に乗って届く重い臭気、この場所はあの瞬間を色濃く残していました。

なにより驚いたのが、道路のすぐ脇まで波が届いていること。そう、ほぼ波打ち際に道路があるのです。地震による地殻変動で砂浜が消えていました(後で漁師のオッチャンに聞いたところ、前は砂浜が20mくらいあったらしい)。

ここここ、こんな道は夜に絶対運転できないよ!少し踏み外せば海の中じゃん!ガードレールも全部なくなってるし、どういう世界だよココ・・・。

牡鹿半島は圧倒的に人手が足りておらず、やるべきことが無限と思えるほど残っている場所でした。ウワサには聞いていたけど、これほどとは・・・。

レーベン号は無事に牡鹿半島のボランティアセンター(通称ボラセン。これもボランティアによって運営されている)に到着。ボラセンの中には宮城県の亘理町で一緒に活動していた懐かしい顔がチラホラと見えました。

ボランティアの活動登録手続きを行い、本日の作業場所である中学校の避難所へ移動です。

今回は雨のため、屋外での力仕事ではなく、屋内で漁師さんの道具を作るお手伝いでした。今後はそういった「生活支援」のボランティアも増えていくのでしょう。船も道具も全部流されたとオッチャンが教えてくれました。

約10分のドライヴで中学校へ到着。いざ乗り込むぞと思ったその矢先・・・

「ドスン!!!!!!!」

すさまじい音がしました。なんと、降り続く雨でアスファルトの道路と脇道の間が泥状になって流出し、大きな凹みになっていたところへレーベン号の後部車輪がスタック、車体の後部を強打してしまったのです。

いくら吹かしても動かないレーベン号。車体重量を少しでも軽くするため全員降車し、タイヤの下へ石をかましたり、倒木を使って持ち上げようとしてみたけど、タイヤは悲しく空回りするのみでした。

「こりゃもう、トラックが通ったときに引っ張ってもらうしかないですね」

被災地ゆえ、大型トラックが頻繁に通ります。そのトラックにお願いして、泥の中から救出してもらうことに。

そして、さすがというかなんというか、あっさり通りかかった巨大トラックにあっさりと救出していただけました。いやー、ボランティアしに来てるのに助けられることになるとは。本当にありがとうございました。

やっとこさボランティア作業をスタートして、あれこれがんばっていたところへ、スタッフから衝撃の事実が伝えられました。

「レーベン号は先ほどの事故のため走行不能になりました」

やれんのか

「え・・・バスが走れない・・・?」

突然の事態を飲み込めないままのボランティアメンバーたち。スタッフが続けます。

「牡鹿半島のレーベン号は先ほどの事故のため走行不能になりました。ですが、皆さんは東京に帰ることができます。陸前高田に行っている、もう一台のレーベン号と、急遽マイクロバスをチャーターしたので、その2台に分譲して皆さんを送り届けます。ただし、陸前高田のレーベン号の座席は空席が限られているので、補助席を使うことになります。マイクロバスも非常に小さいため、乗り心地はよくないです。そのため、希望者は仙台から東京まで一般の高速バスへ乗車していただくことも可能です。バスの運賃はレーベンで負担します」

・・・なんという太っ腹ぶり!一瞬どうなることかと思ったけど、ボラ作業に専念していても大丈夫そうです。

今回は地元の漁師さんたちと一緒に作業できたので、たくさんの話を聞くことができました。皆さんとても明るく前向きで、楽しい作業でした。

さて!作業も無事に完了し、そろそろ帰る時間となりました。

陸前高田からのレーベン号とマイクロバスの到着を、エンジンのかからなくなった牡鹿半島レーベン号の車内で待つことに。

このあたりは日が沈むのが早いのか、夕方5時ですっかり暗くなり、車内はボランティアメンバーが持っていたヘッドライトを天井からブラ下げて明かりを取りました。まぁ、雨もそんなに強くないし、のんびり待ちましょう。

「いま陸前高田の方から連絡がありました。道を間違えたので、あと1時間かかるようです」

あるある!そういうの待ち合わせではよくある話!そして1時間が過ぎ・・・

「いま陸前高田の方から連絡がありました。ガス欠を起こしたらしく、タンクローリーを呼んでいるのでもう1時間かかるようです」

あるある・・・のか?

そんなこんなでお迎えを待つこと数時間。バスのまわりをブラブラしていたら、昼間に一緒に作業をしていた漁師のオッチャンに見つかりました。

「あれ?兄ちゃんたちまだいるのかい?」
「はい・・・実は迎えのバスがガス欠を起こしまして・・・」
「それなら仮設の集会所を使いなよ。バスよりマシだろ」
「お世話になります!!!!!!!」

いやー、もうすっかり助けられてしまいました。どっちがボランティアか分からないですね。暗いバスからみんなで集会所へ移動です。真新しい畳敷き、蛍光灯の明かり、なんとも落ち着きます。さらにビールとカップラーメンまで出していただき、恐悦至極。さすがオッチャンたちはもてなし上手!!!!!!!

こういう場合の親切心はしっかりと「ごっつぁん」するのが礼儀。お湯をバンバン沸かしてくれているのに遠慮するのは失礼。カップ麺は「大盛りを超えたキング盛り」という超ボリュームサイズなれど、俺もmilchもスープまでしっかり飲み干し、礼節を尽くしました。

「バスが到着しました!」

どうやらお別れの時が来たようです。仮設住宅の方々にお礼を伝え、俺とmilchは東京へ直行するレーベン号ではなく、仙台行きのマイクロバスに乗車しました。仙台から東京行きの高速バスに空席があるのか分からないながら、

・キツイ補助席のレーベン1号で安心して帰るか
・リスクを背負ってでも望みに賭けるか

という選択肢があるなら、迷わず後者!!!!!!! ホームレスになるなら日本一のホームレスに!!!!!!! リング外でトペを避けるようなことはできません。

ようやく帰路につけた安心感から少しウトウトしていると、新たなる事実が告げられました。

「実はこのマイクロバスもガソリンが少ないです。どこかで給油しないとマズイです」

なんと!ガス欠の悪夢が再び!手近なところにガソリンスタンドがないかをスマホで検索しながら走っていると・・・津波で破壊されたエリアに迷い込んでしまいました。

窓の外は完璧な闇。ヘドロの臭いが車内に充満します。この先にスタンドあるよ!と、Google Mapの地図を見ながら走っても、そこにあるのは破壊されたガソリンスタンドの痕跡のみ。どこまで行っても闇。ただただ平らな、暗い空間が拡がっています。

一瞬、この世界で動いているのはこのマイクロバスだけのように錯覚しました。

「このまま走るの危険ですよ。もっと市街地を目指しましょう」

どれだけ走ったのか、実際にガソリンがどれだけ残っていたのか、それまではどこにいたのか分かりませんが、ようやく市街地へ到着し、ガソリンスタンドを発見できました。拍手で湧きました。

そしてマイクロバスは無事に仙台へ到着。予定時間よりずいぶん遅くなったけど、東京行きの高速バスも空席がありました。

レーベン号の皆さん、本当にお世話になりました。ここでレーベン号クルーとお別れです。

高速バスの時間まで1時間くらいあったので、少しだけブラブラして牛タン定食を食べました。

今回のボランティアバスツアーはわずか0泊3日、現地の活動は土曜日の一日だけというショートプランでした。しかし、その中身は(幸か不幸か)すさまじく濃く、たくさんの人の思いや、破壊された街並みの現状に触れることができました。

ロストジェネレーション特有の感覚かもですが、私には「ああっ、もう現地の人たちがカワイソウ!どうしようもない被害状況だわ!」みたいな、ヒステリックな感傷はさっぱりありません。「壊れてたら直すっしょ。週末に時間あれば行くっしょ。俺らの世代は募金より行動の方が効果出せるっしょ」という、当たり前すぎる状態になっています。やる気がないとか冷めているんじゃなくて、やるのが当たり前の状態です。やらない方に違和感を覚えます。NEUTRALに考えたらそうなんだもん。

いろんな被災地で言われました。

「東京から週末に、よく来てくれましたねえー」
「まぁ、好きですからこういうの」
「ドロまみれになるのが好きって、兄ちゃんは変わってんなー」

さて、あのころの感覚や思いを忘れずに、日々を過ごしていきたいと思います。