90年代のDJが経験した5つのこと

シェアする

スポンサーリンク

1990年代末期、ディスコからクラブへとシーンが変わりゆく中、たくさんの「DJ」たちが産まれました。いまや大企業の社長よりも高給取りでモテてモテて大変な職業と言われるDJですが、あのころのDJが経験したであろう5つのことを紹介します。

DJって何の略?と聞かれました

いまでもたまにあるこの質問。「DJはDJという職業以外の何物でもない」というのが真理だと思うのですが、そんなのは通じないから、「えーと、ディスクジョッキー・・・?」などと適当に答えようものなら「ラジオに出たいの?」などと返されて・・・本当に困ったものでした。

渋谷の坂道でヒーコラ言ってました

渋谷のクラブは、どういうわけか「道玄坂」という坂道を登った先に密集しています。車がブイブイ走る細い道を、ガラガラに取り付けた大量のレコードを引っ張って登り・・・マークシティ?いまだとそんな建物もあるの? USBにデータを入れてヘッドフォンだけ持って行く? そんな手ブラだと、お客さんと間違われない?

現場に行くことが大切でした

新譜のレコードが入荷されるときにはレコード屋へ行き、未知なる音源を求めるならインドやヨーロッパを旅して回り・・・。インターネット経由で音源をやり取りできなかったため、「他人と違う音を手に入れたいなら足で稼ぐ」しかありませんでした。そうやって手に入れたキラートラックをかけて盛り上がった瞬間は、すべての疲れが吹っ飛ぶ気持ちよさでした。

お金がとにかくかかりました

DJをやるためにはレコードという音源が必要です。レコードはたくさんあればあるほどプレイの幅が拡がるし、同じレコードが2枚あれば同時にかけて無限にループさせることができるため、多くのDJは押し入れ数個分のレコードを所有していました。ターンテーブルにDJミキサー、レコードの針など、ナンダカンダと出費が大変でした。でも、いい音で届けたいという思いがすべてを上回っていました。

儲からないしモテませんでした

いまや大企業の社長よりも高給取りでモテてモテて大変な職業と言われるDJですが、90年代末期はそもそもお客さんの絶対数が少なく、フロアで見かける女の子も「私、まわりから変わっている子って言われるんですヨ~」なんていう痛い子ばかり。かわいい子はだいたいミスチルのライブとかJリーグの観戦に行ってました。

つまり・・・夢って大切!

いかがでしたでしょうか。私には、まるで昨日のことのように思い返されます。

儲からないしモテないし金はかかるし疲れるし、いいこと何もない!みたいな状態だったけど、みんな自分の理想を追求して日夜お皿を回し続けていました。

つまり・・・仮にいま、どんだけ世間から理解されていなくて人気がないジャンルであっても、自分の理想を追求していれば、いつかは大企業の社長よりも高給取りでモテてモテて大変な職業になるかもしれません。

だから・・・負けるなみんな!負けるな俺!!!!!!!!!!!

いつかきっと、暖かい布団で眠って、お腹一杯ご飯が食べられる日を夢見て・・・。