もうすぐ7ヶ月になる。初めて宮城県 亘理町へボランティアに行ったとき、街はまだガレキで溢れていた。ボコボコに潰れてひっくり返った車が黒い田んぼの中に残り、倒壊寸前の家屋が赤い旗と共に「その瞬間」を残していた。
惨状。言葉は出ず、涙をこらえるのが大変だった。
桜が満開だった。今年は東京での春の記憶が一切ない。亘理町で初めて桜を見た気がする。
帰ってきてから「Ravers Save the Neighbors - フェスキッズよ、被災地ボランティアへ行こう! 」と呼びかけまくった。キャンプ生活に抵抗がなく、健康的な体としなやかな感性を持ち、たくさんのユーモアと自然を愛する気持ちのある野外パーティー好きは被災地ボランティアに最適だと思った。今年の夏フェスは自粛されるだろうし、そんなところより被災地ボランティアへ今年は行ってみようぜと呼びかけまくった。
最初はとことんダメだった。「死体があるんじゃないの?」とか「女の子はレイプされたり危ないんじゃないの?」「放射能は?」という、落胆させる言葉ばかりやってきた。まーつまりは情報発信不足だった。
たくさんのところでたくさんの人と話をした。野外フェスへ遊びに行こうぜの誘いは全部断った(実際、今年はひとつも行っていない)。
決め事というかポリシーというか、「被災地ボランティアへ行こうぜ!」と呼びかけたり、「1000年に一度の災害で動かない男が、あなたと過ごす数十年の間になにをしてくれるの?」やら「俺らの腕は機動隊を殴るためじゃなく、誰かを助けるためにあるんだ」という批判混じりの言葉は書いていたけど、「現地は大変なんです。お願いします」という、情に訴えるような「お願い」はしないようにしていた。
それは俺の望む未来が「誰かにお願いされて動く」ような世界じゃなく、個々が自立し、自分の成すべきことを認識して、自己責任による自主行動で有機的につながっていく世界だったからだ。そんな未来につながる人を一人でも増やしたかった。
でもこれは振り返ってみるとちょっと失敗だった。呼びかけに対する批判や嘲笑も来て、かなりヘコんだ。相変わらず野外パーティーは満員御礼で被災地ボランティアはオッサンだらけだった。
現場で作業しているときだけ、現場へ向かっているときだけ、そのときは本当に楽しかった。悲しみの中でも楽しかった。充実していた。たとえ二次災害で死んだとしても、いい死に場所じゃないかといつも思っていた。
ボランティアのニーズはまだまだ残っています。地震に加えて台風でも巨大な被害がでました。俺も労働者階級の会社員仕事が毎日あって、週末はマガリスギ仕事もあって(これも一時は悩んでいたけど、これを通じて俺の声が大きくなるならヨシと判断しました)、まーとにかく時間もお金も極端に少ないけれど、極力現場に向かえるようにしておきたいと思っています。
さぁ、成すべきことを成し遂げて次世代に渡していこう。2011年はもうすぐ終わる。
「ねぇパパ、あの地震のとき、パパは何をやっていたの?」
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